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槇原寛己さんのお話を拝聴して

 今回は、とっておきの情報を皆さんにお届けしたいと思います。

先日名古屋で開催されましたある会で、“ミスターパーフェクト”の肩書を持つ半田市出身で大府高校から巨人に1位指名された槇原寛己さんのお話を拝聴する機会がありましたので、ここでぶっちゃけたいと思います。槇原さんの3歳年下である私は、彼が3年生でデビューした春の甲子園大会をテレビで釘付けになって、見ておりました。1回戦で優勝候補に挙げられていた金村義明選手が率いる報徳学園を撃破したのですが、2回戦はマウンドがぬかるむ雨中戦で、残念ながら伏兵の御坊商工(和歌山県)に4-0で惜敗したのでした。

その年の夏の甲子園は報徳学園が優勝したのですが、金村選手をして『あのカーブは高校生に打てない』と言わしめたのが、当時の工藤公康選手が率いる名古屋電気工業(名電)でした。報徳学園に惜敗した工藤選手ですが、私にとってこの年、昭和56年の甲子園が愛知県民にとって最も思い出に残る年になったのです。皆さんご存知の通り、この年のドラフト1位で巨人に指名された槇原選手と、どんでん返しで西武に指名された工藤選手が、後のセリーグとパリーグを背負うピッチャーになっていったのです。

 話を槇原さん戻します。TBSを中心にテレビ出演をされていますが、You Tubeでも

『ミスターパーフェクト槇原』というチャンネルで発信をされていますので、ご興味がある方は見てみてください。今回彼は、You Tubeでは言えないとても面白い話をしてくれました。

まずはドラフト指名の話。12球団の全スカウトが、半田市のご実家まで挨拶に来られたそうですが、なぜか巨人のスカウトだけは、2階でお父様とビールで宴会をしていたそうです。この時点でもう巨人に行くことは決まっていた??また、ドラフトの直前にパリーグの某球団から「1位で指名するから、よろしくお願いします。」と電話があったのだそうですが、お父様は頑なにお断りしたそうです。現在では考えられませんが、その当時パリーグに入団することはとても勇気がいったようです。

続いて、甲子園3連発のホームラン。野球に興味ない方でも、この出来事を知っている方は多いと思います。昭和60年の阪神タイガースが日本一に輝いた年の出来事です。阪神が誇るクリーンアップ、3番バース・4番掛布・5番岡田の3人が、甲子園球場で槇原投手からバックスクリーンに3連発のホームランをかっ飛ばしたのです。余談ですが、今年の2月に槇原さんがタイガースのキャンプを訪問して岡田監督と話した際、『俺のホームランが一番すごかったやろ』と自慢げにお話されていたそうです(笑)。何とも、岡田監督らしいコメント。さて、槇原さんは講演会で『球種が全部ばれていた』とぶっちゃけました。打った本人がそう話したわけではないので真相は??ですが、ある阪神のコーチが後年巨人に招聘された際に、『槇原、お前のサインは全部ばれていたぞ!』と言われたそうです。私もサイン盗みの話は聞いたことがあります。センターに座って望遠鏡(キャッチャーのサインを盗む)を覗いているカップルの男性が立ったらストレート、女性が立ったらカーブとか・・・。そんな簡単なものではありませんでした。バックスクリーンの電光掲示板で、TigersのTの上が点滅したらストレート、下が点滅したらカーブ。皆さん、どこまで信じますか?

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