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白鵬関

 今回は、先日引退を発表した大相撲の横綱である白鵬関について書きます。

今までに相撲の話題については2回ほど書きましたが、大相撲を見始めた子供時代に私が最初にファンになったのは初代貴ノ花でした。端正な顔つきで小兵の大関貴ノ花が、大きなお相撲さんを投げ飛ばす姿が大好きでした。細身で筋肉質のお相撲さんが大好きな私は、貴ノ花に引退の引導を渡した千代の富士関をすぐに好きになりました。筋肉質が美しい関取は今までにもたくさんいましたが、私は千代の富士が最も美しい筋肉の鎧をまとっていたと思っています。大鵬関の優勝32回に次ぐ千代の富士の優勝31回は、小兵横綱としては大変立派な数字であることは皆さんもご存知の通りです。その千代の富士に引退の引導を渡したのは、貴ノ花の次男である貴乃花関でした。私が彼のことを好きになったのは、当然の成り行きでした。2001年5月場所で膝を亜脱臼して満身創痍の貴乃花が、武蔵丸を破って阿修羅のごとき顔を見せましたが、これは後にフィギュア(人形)になりました。時の総理である小泉首相が「痛みに耐えてよく頑張った。感動した!!」とスピーチして総理大臣杯を渡した場面は、大相撲の全盛期を象徴していると言っても過言ではないでしょう。

 私は医師になってから入院中の貴ノ花親方をよく見かけましたし、息子の貴乃花親方と河野景子さんは、景子さんの御父上の主治医になった関係でよく話をさせていただきました。話題はなぜか私がやっていたラグビーで、親方はスポコンドラマの「スクールウォーズ」がとても好きだと話していました。世間を騒がせた息子さんが、まだ小学生だった頃の話です。

 さて本題の白鵬関です。皆さんも知っていると思いますが、入門時は15歳で身長が176㎝、体重は62kgで今この体型で角界に入門する人はほとんどいません。何とか宮城野部屋に入れてもらったわけですが、モンゴル相撲で横綱を張った父親のDNAはしっかりと白鵬関に受け継がれていました。優勝回数45回、幕内勝ち星1093勝、横綱在位84場所など、今後何十年も破られないであろう数々の記録を打ち立てました。未来の少年たちに相撲の楽しさを伝えるための「白鵬杯」も今では10回を重ね、世界から1100人もの少年が集まります。白鵬関が細身の長男が相撲に負けて泣いているところを励ます姿は、なんとも微笑ましいものでした。

 私が白鵬関の強さを表す言葉でとても印象的な表現があります。現役時代に“ロボコップ”の異名をとった元高見盛の振分親方が、白鵬関の強さについて語ったシーンです。親方はなんと白鵬関を「全身が軟らかいゴム」に例えたのです。どんなに激しく当たっても全部吸収して跳ね返してしまうんです・・・と。なるほど、これはわかりやすいと思いました。

晩年の白鵬関は、膝や足などの重要な下半身の関節に大きな爆弾を抱えて相撲をとっていました。関節に炎症を起こすことは、すなわち武器であるゴムの吸収力出せなくなってまともに相手の圧力を受けるようになったと言えると思います。

 尊敬する大鵬関を大きく超える偉業を成し遂げた大横綱の白鵬関、今度は彼の子どもが土俵を沸かせる日が来ることを楽しみにしています。本当にお疲れ様でした。

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