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藤沢医院通信blog

高校野球

 今回は、高校野球について書きます。毎回スポーツネタですが、ご容赦ください。

この夏甲子園球場で開催される高校野球は、第100回記念大会のため、東京、神奈川、千葉、愛知、大阪、兵庫、福岡など参加校の多い都道府県は、東西2校が選出されました。隣の三重県では、一昨年まで10年連続で1回戦負けの白山高校が優勝し、「史上最大の下剋上」と言われていますが、確かに強豪校と比べても体の線が細く、よくぞ勝ち上がってきたな!という印象です。一昨年までの1回戦ボーイが2年後に甲子園に行くなんて聞いたことがありません。多分初めての出来事ではないでしょうか?

 さて、私の甥っ子たち(弟の息子3人)は全て野球部で甲子園を目指していました。亀田3兄弟みたいなものです。長男は享栄高校、次男は三重県の菰野高校を卒業、三男は豊川高校3年生です。次男は1年生でサードのレギュラーとクリーンアップを任され、決勝まで進出しましたが、三重高校に残念ながら負けてしまいました。その三重高校は、なんと甲子園で決勝戦まで進出し、惜しくも準優勝に終わりました。数年前のことです。今回、豊川高校は東愛知の本命に挙げられていました。しかも甲子園雑誌をみると、三男坊が注目の内野手3人のうちの一人に選ばれていました。予想通りベスト8までは全てコールド勝ちで順調に勝ち上がったのですが、ベスト4をかけた試合でセカンドを守っていた彼は、フライを追ってライトと激突し、腰を強打してしまいました。試合は何とか勝ったものの、翌日に彼を診察した私は、「当分試合には出られそうもない」と直感しました。そして彼を欠いたチームは準決勝の西尾東戦(中日の岩瀬投手の母校)で、信じられないことにコールド負けを喫してしまいました。昨日の決勝戦は、愛知産業大学三河高等学校(通称、愛産大三河)が22年ぶり2回目の甲子園出場を勝ち取りました。おめでとうございます。

 さて、甲子園の試合で、皆さんは記憶に残っていることはありますか?「怪物松坂」「松井秀喜の連続敬遠」などは有名であり、この季節になるとテレビで特集されますね。

私が一番刺激を受けたのは、春に大府高校、夏に愛工大名電(当時は名電)が出場し、それぞれ槙原寛巳投手、工藤公康投手が活躍したことです。槙原投手は2回戦で雨の中和歌山の御坊商工に負けましたが、剛速球がうなりを上げ、その年のドラフトで巨人に1位指名されました。工藤投手は、「彼のカーブは高校生では打てない」と言われていましたが、残念ながら金村義明さんが率いる報徳学園に負け、同校はそのまま優勝しました。ご存知の通り、工藤さんは西武ライオンズの指名を受けて入団しました。(よく覚えているでしょう!!)

 私の中で最も心に残る試合は、古くて申し訳ないのですが、昭和54年の第61回大会3回戦、和歌山県代表の箕島高校v.s.石川県代表の星稜高校の試合です。その当時、尾藤監督率いる箕島高校は常勝軍団でしたが、この試合は延長18回で箕島高校がサヨナラ勝ちしました。忘れられないのは、箕島が1点負けている延長16回裏のツーアウトでバッターがファーストにファウルフライを打ち上げた瞬間、私は箕島が負けた!と思いました。次の瞬間ボールと取ると思ったファーストが芝生に足を引っかけて転んだのです。気を取り直して見ていると、なんとその選手はホームランを打って同点に追いつき、結局箕島は勝ち切ったのです。今でも鮮明に覚えているシーンです。

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