スーパースターの帝王教育
今回は、今高校野球で注目されている早稲田実業の高校3年生、清宮幸太郎君について書きます。彼の父親は早稲田大学ラグビー部の名プレーヤーで、現在はヤマハ発動機ジュビロラグビー部の監督をしている清宮克幸さん。克幸さんは大阪・茨田高校でラグビーを始めると、メキメキと頭角を現し高校日本代表のキャプテン。早稲田大ではまたもキャプテンとして4年次に全国大学選手権優勝。卒業後はサントリーに入社し、全国社会人大会優勝・日本選手権優勝など中心選手として数々の偉業を達成してきました。引退後の2001~2005年は早稲田大の監督を務め、2度の大学選手権優勝など常勝チームを構築しています。
幸太郎君のお母さん・幸世さんも慶応大学時代にゴルフ部の主将を務めるスポーツ選手でした。幸世さんは中学時代に野球部のマネージャーを務めていた経験もあり、「少しでも一塁に近くなるように」と幼少時に清宮を左打ちに“改造”したのです。。
小学4年生までは野球だけでなく、ラグビー、水泳、陸上、テニスなど、さまざまなスポーツを行っていた幸太郎君。特に父親譲りのラグビーでは、能力を高く評価されていました。しかし、中学校に進学する頃には野球1本に絞ったのです。彼が野球の道を志したのは、2006年、夏の甲子園がきっかけでした。当時、早稲田実業初等部1年だった幸太郎君は、あの「ハンカチ王子」こと斉藤祐樹選手と、現在はヤンキースで活躍する田中将大選手が活躍した、早稲田実業高校と駒大苫小牧の決勝再試合を、甲子園のアルプススタンドで観戦していたのです。
さて、幸太郎君の名を一躍有名にしたのは、所属する東京北砂リトルリーグがアメリカで行われたリトルリーグ世界選手権に出場し、見事優勝を果たしたことです。この時、彼は中学1年生。まだ13歳にも関わらず、183㎝・93㎏とプロ選手顔負けの体で、対面したイチロー選手も「でかっ!」と驚いていたそうです。私はたまたまテレビ中継を見ており、内角低めの難しい球をいとも簡単にホームランしたのを見て、「この子は松井秀喜、いやそれ以上の怪物になるかもしれない」と強い衝撃を感じました。
幸太郎君がスター街道をひた走るもう一つの要因は、そのインタビューにあります。テンプレートの受け答えしかしない選手とは違い、毎回バリエーションがあるのです。しっかりとしたコミュニケーション能力は、メディア受け抜群。すでにスポーツ紙では清宮がどんなことを言うか、“清宮語録”の報道体制ができ上がっています。これは父・克幸さんの教え。「『頑張ります』とか当たり前のこと言うなよ。他の人と違うことを言え」と指導されたというのだから、これぞスーパースターの帝王教育でしょう。