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藤沢医院通信blog

安倍晋三元総理について

 今回は、去る7月8日に突然この世を去ってしまわれた安倍晋三元総理について書きます。

 皆さんご存知の通り、参議院選挙の応援演説のために奈良県を訪れた安倍元総理は、近鉄・大和西大寺駅前で突然の銃弾に倒れました。首に2か所、左腕に1か所の弾痕が認められ、後に左腕の太い動脈と心臓の心室に穴が開いて失血死に至ったことが、奈良県立医大で執刀にあたられた福島英賢教授(救急医学)から報告されました。医大までのドクターヘリで安倍さんの治療にあたった植山医師は、出血多量により点滴ルートを確保できないため、骨髄穿刺(おそらく足のすねから穿刺)をして輸液ルートを確保したと報告しています。

 安倍さんは銃撃後すぐに意識消失したと思われ、心臓マッサージもAEDも無用の長物になってしまいました。外傷性に心臓に穴が開いた場合、それが優秀なスタッフと器械が揃ったオペ室で起きる以外に、救命することはほぼ不可能だと思われます。福島教授ら総勢40名以上の医師たちの懸命な治療により、大きな血管からの出血は止まったものの心臓が再び動くことはなかったそうです。輸血は合計13Lで、成人男性の血液が3回入れ替わる量に達しました。外科医の経験でお話するのですが、短時間で大量に出血した場合、同じだけの血液を輸血すれば血が止まるのかというと、そうではないのです。血を止めるためには、血小板や凝固因子と言われる止血機能が働かないといけません。大量出血では、その機能が著しく低下するため、術野のいろいろな場所から血が湧き出してくるのです。私が外科医であるために、非常に生々しい表現になってしまいました。ごめんなさい。

安倍元総理のご冥福をお祈り申し上げるとともに、懸命な努力を5時間以上にわたり続けられた医療スタッフに、改めて敬意を表したいと思います。銃社会ではない日本において、『銃創』の治療の難しさを、改めて思い知らされました。

 安倍晋三さんの御父上は、皆さんご存知の安倍晋太郎元外務大臣です。晋太郎さんは、現役の外務大臣である1989年5月に、順天堂大学の第二外科で当時の二川俊二教授の執刀により、膵臓癌の手術を受けました。術後も入退院を繰り返しながら、晋太郎さんは外務大臣として海外への外遊でも精力的に活動されたことを、後の私の恩師である児島邦明先生からお聞きしました。実は、私は晋太郎さんがお亡くなりになられた2年後に、二川先生の教室の門を叩いたのです。晋三さんは当時御父上の秘書をされており、同い年であった児島先生は、主治医として点滴と治療薬を抱えて晋太郎先生・晋三秘書官と同じ飛行機に乗って、外遊をお支えしたのでした。児島先生からそれ以上の詳しい話を聞いたことはありませんでしたが、晋三さんは御父上のキーパーソンであり、児島先生と同級生であったことから、たくさんの会話をされたに違いありません。尊敬する児島先生の今のお気持ちを考えると、本当に無念でなりません。

 67歳という若さで突然の銃弾に倒れた安倍元総理、御父上は私が医師になった1991年に同じく67歳で永眠されました。日本の政治を支えたお二人が、天国でお酒を酌み交わしながら、政治談議に花を咲かせていると信じて疑いません。

 改めて、安倍晋三元総理のご冥福をお祈り申し上げます。

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