藤沢医院

藤沢医院通信blog

『初心忘るべからず』

 平成25年に22年間所属した順天堂大学を退局して東浦の地に帰って参りましたが、今回は“ぶっちゃけ話”について書きます。

『初心忘るべからず』・・・。私が初めて点滴を施した食道がん術後のおじいちゃんは、血管内に針が入らず失敗。左腕がピンポン玉大に腫れているのに、頭が真っ白になって視界に入っている駆血帯を外すことを完全に忘れていました。申し訳ない気持ちはおじいちゃんが退院するまで続き、点滴棒を持ちながら毎日の歩行練習にずっとお付き合いしたことを覚えています。今の医学生は、OSCE(オスキー)という実習で点滴や採血のできる腕人形もあり、傷の縫合や膀胱留置カテーテルの挿入、気管挿管、心臓マッサージも練習して、全て点数がつけられます。実際に研修医が患者さんに初めて点滴する前は、私も自分の腕を差し出して指導したものですが、私の時代は、“ぶっつけ本番”でした。医者になって数か月、点滴が苦手で毎日下痢をしていたのは、この通信に書いた通りです。

 2年間の研修医期間を経て、外科に入局。後に恩師と慕う児島先生のグループに配属された私、一番下っ端ではありますが、最初の担当患者さんが大物政治家でした。血液型を調べるための採血で個室に伺った際、私は『〇〇先生、血液型を調べるための採血をします。』と説明しましたが、その時点で手はブルブル震えていました。『先生、お願いします。』とこんな若造に返ってきた言葉を聞いて、腕の震えが激しくなり、必死で利き手を押さえたことを今でも覚えています。現在点滴は得意分野になりましたが、今でも複数回失敗すると申し訳なさから落ち込んでしまうところは、初心を忘れていないということでしょうか?

 東京の真ん中で、大学病院には教授にオペをしてもらいたい患者さんが沢山来られます。

肝臓・胆嚢・膵臓が専門の医局でしたが、闇の世界のトップも何人か担当させていただきました。入れ墨を彫る→C型肝炎に感染→肝硬変→肝臓がんという病歴が成り立つわけです。手術すべき病気があれば、一人の患者さんとして私がやるべきことは変わりません。この個室病棟で、夜遅くまで一人で残業していたことをよく覚えています。あるとき別々のトップが同時期に入院したことがありましたが、彼らにはお付きの人が何人かいます。検査に向かうときは、エレベーターで一緒にならないように別々の時間帯で動くよう苦心したようですが、その当時は病棟の一角でたばこを吸うスペースがあった古き良き時代?なんと、別々の組織でありながら、お付きの人たちは仲良くたばこを吸っていたとのこと。

 ある女優さんはがんの術後でしたが、新幹線で移動中におなかが痛くなったと電話がかかってきました。夜の遅い時間にタクシーで病院まで来られ、点滴をして腹痛は軽快。家まで車で送って差し上げました。後日ご自宅に招かれて、NHKのプロデューサーと一緒に伊賀牛の焼き肉をごちそうになりました。

 これらの話、全て時効として許してもらえるでしょうか?こんな田舎者が東京では沢山の経験を積ませてもらいましたが、今でも小心者の自分が変わることはありません。小心者であるからこそ、いろんなことを考えながら、慎重に日々の診療を積み重ねていく今日この頃です。

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