私の恩師
今回は、私の恩師である児島邦明先生について書かせていただきます。先生は現在、順天堂大学医学部付属練馬病院の院長兼総合外科の教授であられますが、3月をもって教授を退官されました。但し、病院長は今後もお続けになるとのことです。
私が児島先生に初めてお会いしたのは、平成3年に医師として外科研修を始めたときに遡ります。その当時は、現在のような新臨床研修医制度(医師国家試験合格後の2年以上で内科・救急・麻酔科・・・などの必須科を中心に研修する)が存在しなかったため、私は悩みに悩んだ末外科医になることを決断し、消化器外科・小児外科・心臓・呼吸器外科を研修することになりました。当時、児島先生が所属しておられた旧第二外科は胃や大腸の手術は当然のこと、肝硬変から発生する胃・食道静脈瘤の手術に関しては日本のリーダー的な位置をなしていました。医師1年目の私は、先生のもとで3か月間直接指導を受けたのですが、研修の終了時点ですでに“児島先生のもとで働きたい!”と思っていました。先生は、新米の何も知らない私に一生懸命指導をしてくださいました。そして口癖のように、「私の水準までは、きっとなれるから」と常に励ましてくれました。結局医師としても外科医としても、常に勉強を怠らない先生は遠く及ばない存在となって、平成25年に私が医局を離れることになったのですが・・・。
児島先生に関して言えば、医学生や若手研修医の指導に関してその右に出る人はいませんでした。常に“褒めて育てる”を基本として、その最たる方針は私たちの外科医局において、全ての手術で若手外科医ができる部分は全て指導医の指導のもとやらせるというものでした。最初の頃、この難題?を与えられた私たち指導医は大変戸惑いましたが、過酷でどんどん減りつつある外科医を増やすためにはこれしかない!と思うようになりました。
“See one, do one, teach one.”という言葉がありますが、これは日本語で「一つ見て、一つやって、一つ教えなさい。」という意味です。恩師である児島先生の手術を手伝って見て、次は自分でやってみて、その次は若手外科医を指導する。言葉で言えるほど簡単なことではありません。何といっても手術ですから・・・。私たちは命を削るくらいの覚悟で若手外科医と手術を続けたところ、自分が一人でやっても変わらないほどオペがスムーズに流れるようになりました。これほど尊い経験は後にも先にもこれだけで、児島先生でなければ達成できなかったと思います。先生が外科医としてメスを置くのは寂しい限りですが、これからは病院長として医学生・研修医・若手外科医を見守ってほしいです。
児島先生、20年以上に渡りご指導いただき、誠にありがとうございました。