2026年 明けましておめでとうございます
皆様、新年明けましておめでとうございます。今年も、藤沢医院は全力で皆様をお支えしたいと思います。
さて、院内の受付に職員からいただきました胡蝶蘭が飾ってありますが、昨年の12月3日をもちまして、当院は“開院50周年”を無事に迎えることができました。これは、ひとえに延べ5万人を超える患者様とそのご家族に支えていただき達成できたことと改めて深く感謝申し上げます。
当院は昭和50年12月3日に、私の父であります藤澤健夫を初代院長として開院致しました。当初の名前は『藤沢外科醫院』でございます。当時の東浦町には医療機関が少なく、急病の際にも町外の医療機関まで足を運ぶことが少なくなかったと、患者様からも聞いております。現在2階は待合室の他に主に点滴をする部屋として使用しておりますが、当時は入院部屋として使っておりました。現在のカルテ庫はナースステーションであり、看護師や事務長の当直室が併設され、入院患者さんの食事をつくる職員も常駐しておりました。
私の父は、看護師でありました母と出会った三重県、私を含む上3人の子供が生まれた京都府、愛媛県の今治、滋賀県の近江八幡、4人目の子供(弟)が生まれた岐阜市と各地で外科医としての研鑽を積んで、最終的にこの東浦の地にやって参りました。細分化の進んだ時代に医療を学んだ私と異なり、父は骨折を含む整形外科や小児科もこなせる人でした。今となっては内視鏡を含む検査室が当時の手術室であり、胃癌や大腸癌などの大きな手術は信頼のおける先生をお呼びして執刀、夜中の緊急手術は看護師である母を前に立たせて父が執刀しておりました。当時小学4年生であった私はスヤスヤと夢の中、1歳の弟は、母が手術室の脇に寝かせて手術を進めたと聞いております。
引っ越してきた当時は、現在の“石浜団地”と言われるほど家も多くなく、隣接する保育園がある敷地は一面土のグランドでした。昼休みに野球部だった父をキャッチボールの相手やノッカーとして独占できることは、私にとって最高の喜びでした。外科医として病院に勤務していた前任地までは、父に子供と遊ぶ時間があまり存在しなかったのです。
この通信にも書きましたが、父は夜中の急患や救急車も受け入れ、2階には十数人の入院患者さんが常に治療している状況を想像すると、私にも同じことができるとは断言できず、改めて父と母の偉大さを感じております。父は、医者の不養生で発覚した直腸癌で手術を受けることになった平成元年まで、この生活を続けておりました。すなわち、約1か月の入院期間で不在となるため、やむなく患者様の入院治療から撤退したわけです。
父は手術で造設された人工肛門の処置も自分で管理しながら、精力的に働いておりましたが、平成24年には十二指腸癌が発覚し、年末に大手術を受けることになりました。私と同い年の加藤先生(水曜日の午前外来:藤田医大の外科教授)と堀口教授に執刀していただきました。翌年の4月に私は父から院長を引き継ぎ、現在に至っております。私が院長を拝命して13年が経過しました。父は私よりもとても濃厚な37年間を院長として、皆様をお支えしてきました。私には24時間医者をしていた父を超えることはできませんが、私は私らしく皆様に寄り添って精進して参りますので、今後ともよろしくお願い申し上げます。