私の人生初の手術体験
今回は、私の人生初体験(手術)に関して書きたいと思います。私の父は、50代前半に直腸癌かかり手術を受けました。癌が肛門に近かったため、人工肛門を造設しています。外科医であり“肛門科”も標榜していた父ですが、肛門から出血していたにもかかわらず、『痔からの出血だろうな』と思っていたとのこと。まさに、“医者の不養生”とはこのことを言うのでしょう。しかし、息子が言うのも何ですが、自分の体を二の次にして患者さんの治療に心血を注いだ人でした。私もそのDNAを引き継いでいる一人として、その意思は同じであり、全うしたいと思っています。
私が外科医の師匠としてお慕い申し上げる“児島先生”。かつて、こんなことを言ったことがあります。『僕らは、たくさんの患者さんの体を切って(手術して)痛みを与えてきた。亡くなった方もいる。だから、自分たちはいい死に方をしないんだろうなあ。』その言葉を聞いたときに、私は自分の体に起こる病気は受け入れて、弱音を吐かないようにと何となく思いました。父の最初の手術がお腹を30㎝も切る傷であったことから、私もきっとどこかに癌ができて手術を受けるに違いないと思っていました。
私の最初の手術は、“右眼の白内障”でした。それは、点眼による局所麻酔の手術。昨年の3月あたりから右眼の視界に霧がかかり、夏頃にはかなり仕事に影響を来すようになりました。私は外科医ですから、外傷で来られた患者さんの傷を縫合しなければいけません。当院の看護師はよく知っていますが、眼鏡を外して左眼1つで慎重に縫合していたのです。8月によしだ眼科を受診して、吉田先生にご高診いただきました。白内障の進行を抑える点眼薬で経過をみておりましたが、10月に手術を決心し、12月11日に吉田先生に執刀していただきました。手術の翌日にガーゼを外してもらったときに感じたこと。30年前のテレビから、現代のテレビの画面を見ているのかと思うほど視界がはっきりと見えて、『よし、これでまた仕事で頑張れる!』と晴れ晴れした気持ちになりました。吉田先生には、感謝の言葉以外に見つかりません。手術翌日の外来は無理をしないように、先生からお言葉をいただきましたが、早速100%の力で再開できました。
白内障は一眼で15分ほどの手術ですが、今はユーチューブが発達しています。白内障の手術動画がありました。私が行っておりました消化器外科の手術も、天井からビデオを吊り下げて録画します。短くて1,2時間、長くて10時間以上なので、とても全部はお見せできません。しかも内臓ですから、一般の方が見ると気分が悪くなってしまいます。私は手術動画を見て、角膜の切り口や濁った水晶体の切除方法、新しい眼内レンズの挿入方法などとても勉強になりました。さて手術のときは、右眼以外は清潔な紙で覆われ天井を見ています。水晶体が取り出されるまでは、きっと右眼で手術の操作が見えるに違いないと勝手に思っていたのですが、視界が開けたのは眼内レンズが挿入されて広がった一瞬だけでした。それ以外は、私の眼を照らす無影灯の光が3つの玉に見えて、時々周りの色が変わるみたいな感じでした。なんとなく、ファンタジーの世界でぼやけた光を追いかけている?とでも言いましょうか。右眼が子供の時以来よく見えるようになったため、視力0.01の左眼と合わせる眼鏡探しをしている今日この頃です。