加藤知成さんのご冥福をお祈り申し上げます
今回は、10月20日に永眠されました、カリモク家具取締役相談役の加藤知成(かとう・ともなり)さんに関する追悼文をお届けしたいと思います。
私は、本日(10月24日)に名古屋市内で執り行われました加藤さんの告別式に参列して参りました。数週間前に、一緒にお昼ご飯を食べたのが、まさか最後のお別れになるとは思ってもおりませんでした。私と加藤さんとの出会いは、平成26年7月まで遡ります。亡き父の代替わりで入会させていただいた『東知多ロータリークラブ』で、その方は異様なまでのオーラを放っていました。私の第一印象は“教授”。そう、大学病院で最初に第二外科に入局した時に二川教授に感じたオーラ。気安く近づくことも、話しかけることもできなかったあのオーラと同じでした。
『カリモク』と言えば、誰もが知っている家具業界の老舗です。加藤さんは、私が生まれた翌年の昭和42年に取締役社長に就任され、日本全国に事業を展開されたことは周知の事実です。平成21年には日本家具産業振興会の会長に就任され、同27年には春の叙勲が発令され、「旭日中綬章」を受章しておられます。
私は地元の愛知県に帰ってきてから知ったのですが、漫画家の窪之内 英策(くぼのうち えいさく)さんが、かつてデビュー前に勤務していたカリモクの独身寮を舞台にした『ツルモク独身寮』は、昭和63年から4年間ビッグコミックスピリッツに連載されました。そして私が医師になった平成3年には、前田耕陽さんと七瀬なつみさんの主演により映画化され、この地でも撮影が行われたそうです。というのも、もう時効?ですが、撮影中の七瀬なつみさんが、当院まで点滴を受けに来たと姉から聞きました。
私の外来にも、かつてあるいは現在もカリモクに勤務しておられる患者さんが来院されます。ある患者さんのお話は、とても印象深く残っています。『カリモクを辞めて何年も経過したある日、加藤さんに偶然お会いして声をかけていただいた。なんと加藤さんは、たくさんいる社員の中で、辞めた私の名前を覚えてくれていたんです。』と。人の名前を覚えるのが不得手な私には、とても信じられないことでした。
私の父と同年代の加藤さんは、何十年にも渡り、お互いを認め合っていたと勝手に想像してしまいます。私は、二人の共通点を1つだけ知っています。それは、亡くなる直前までロータリークラブに出席していたことです。今でも忘れませんが、癌の末期で食事も摂れずに点滴をしていた父が、むくんだ足を引きずって1月25日にロータリーの新年例会に出席しました。これを最後に2月に入院した父は、3月18日に永眠。加藤さんも、確かに私は約1か月前に昼食をともにしたのです。“あっぱれ”としか言いようがありません。
1年間で30回以上お会いしても、ご挨拶以外に私から話しかけることができませんでした。が、私が東知多ロータリークラブの会長を拝命した令和4年、加藤さんが常に言われる『自分の職業について語りなさい。』とのお言葉を受けて、後半の会長挨拶は自分が学んできた外科学に関して、消化器外科の手術を中心にお話させていただきました。任期の最後に加藤さんから頂いたお言葉を忘れません。『これこそが職業奉仕の本質。ご苦労様でした。』
私が尊敬する加藤知成さんのご冥福をお祈り申し上げます。