地震災害
今回は、地震災害について書きます。なぜかと言いますと、今度「東浦防災ネット」で、防災と医療に関して話をする機会を得たからです。さて私は、東北大震災の日、胆のう癌の男性の手術をしていました。突然震度5の大きな揺れを感じ、患者さんを照らす無影灯が大きく揺れました。麻酔科の先生の指示で手術は一時中断、一緒に手術をしていた児島院長は手を下ろして各所の確認に走りました。幸い私の勤務していた病院は免震構造であったため、揺れは大きいのですが、物が倒れることもヒビが入ることもありませんでした。安全が確認されたのちに手術は再開、無事終了したのですが、途中院長から東北地方で津波が発生していること、東京でも火災が起きていることなどを聞き、これほど雑念に惑わされないように手術をしたのは初めての経験でした。家族と連絡がとれず、2時間歩いて帰ったのですが、途中コンビニの陳列棚に商品が全くなかったこと、夜にこれだけの人垣をかき分けて帰途についたことなどは初めての経験でした。幸い家族は無事でしたが、余震が続くため窓を開けて眠れない夜を過ごしました。余震のたびにテレビと携帯の警報が鳴るので、後々まで耳に残ったことを今でもよく覚えています。
さて、東海地方に起こると言われている南海トラフ地震についてですが、東浦町では震度6強から7、マグニチュード9.0、津波は4~5mの高さ、津波の到達予想時間は85分と想定されています。記録上の南海地震は、1605年の慶長地震(M7.9)、1707年の宝永地震(M8.4)、1854年の安政南海地震(M8.4)、1946年の南海地震(M8.4)と約90~150年の周期で大地震が発生しています。最後の南海地震から73年が経過していますから、いつ起きてもおかしくないと考えられています。当院は高地に位置するため津波の影響は受けないと思われますが、建物が古いためどこまで耐えられるか心配です。
私は、医師であり作家でもある海堂 尊さんが編集した「救命―東日本大震災、医師たちの奮闘―」を読みました。これは東日本大震災の現場で奮闘した9人の医師の言葉をまとめたものです。この中で、宮城県名取市でクリニックを開業されている心療内科医の桑山紀彦先生(当時48歳)の奮闘ぶりに感動しました。震災のとき埼玉県にいた先生は、夜になってクリニックに何とか到着、まずは山形県に住む家族の安否を確認、翌朝クリニックに行ってみると辺りはがれきの山、田んぼには車が浮かび、アスファルトにはおばあちゃんのご遺体が横たわっていたそうです。大事な友人や隣人の死を知り先生は自暴自棄になったそうですが、なぜか休診にする気になれず医師の本能で白衣を着ていたそうです。無傷だったクリニックは周辺では先生のところのみで、それを聞きつけた患者さんが列をなしました。それから桑山先生は1人で1週間睡眠なし、食事なしで患者さんをみ続けたとのことです。災害心理で言う「蜜月期」で精神的に高揚していたため、不思議と眠くならずお腹も空かなかったのだそうです。先生は財産も家も流されたおじいちゃん、両親とも津波で失った女子高生など、全ての患者さんと一緒に泣くことしかできなかったと書いておられます。桑山先生の医師魂に敬服するばかりです。非常に考えさせられることの多い、重い体験記でした。